「やっと仕事が楽しめるようになった」3児の母で電通クリエーティブディレクターのキャリアの転換点

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社会を豊かにするクリエイティビティ。その源泉に「多様な経験や人生を持ち寄ること」がある。そう語るのは、電通井戸真紀子氏。

クリエーティブ・ディレクターとして電通内横断組織である「Future Creative Center」に所属しながら、第5CRプランニング局 フューチャー・クリエーティブ5部の部長としてマネジメントを行っている。

自身の子育て経験はクリエイティビティにどう影響しているのか、そして多様性は組織の強みにどう繋がり得るのか。自局のDEI推進プロジェクトを立ち上げた井戸氏に、Business Insider Japanの共同編集長・ブランドディレクターである高阪のぞみが迫る。

時間の制約があ���たからこそ立ち戻れた仕事観

——井戸さんは電通でクリエーティブ・ディレクターを務めながら、3人のお子さんの子育てもしているとお聞きしました。

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井戸真紀子(いど・まきこ)氏/電通 第5CRプランニング局/Future Creative Center クリエーティブ・ディレクター/部長。マーケティング局、ストラテジック・プランニング局を経て、クリエーティブ局へ。ストラテジーからクリエイティブまで一気通貫でプランニングを行い、コミュニケーションから新事業、新商品開発、コンテンツ開発など、幅広いソリューションの提供を行う。

井戸真紀子氏(以下、井戸) はい、3回の出産を経験し、小学4年生、小学2年生、年中の男の子がいます。

電通ではクリエーティブ局で戦略策定からアウトプットまで一気通貫でプランニングを行い、コミュニケーションから新事業や新商品開発、コンテンツ開発など、幅広いソリューションの提供を行っています。

一方で部長として5人のメンバーのマネジメントも担当。育休からの復職後は毎日が手探りで、子育てしながら日本社会の中で働く大変さを日々、痛感しています。

——私も子どもが2人いるのでその大変さはわかります。出産前と比べてどうしても働く時間に制限があると思いますが、仕事への意識は変わりましたか。

井戸 私の中では出産前は「前世」と思うくらい(笑)、仕事観、人生観が変わりました。3人目を出産した後が一番変わりましたね。復職直前に仕事について見直してみたんです。3人育てながらの仕事はいよいよ大変になると思ったので、自分は何のために働くのか改めて考えてみようと。

「自分が死んだときに、棺桶の中で思い出す仕事は何だろう?」と過去の仕事を振り分けたとき、「一人でも多くの人が幸せになった、世の中を0.01ミリでも良い方に動かせた」と思える仕事にやりがいを感じることを再認識しました。その気づきによって、仕事に求めるものがシャープになりました。

子育て経験は強みになる。両立はスキルアップの絶好の機会に

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——アウトプットにおいてはいかがですか。井戸さんが手がけたユニクロの母の日キャンペーン(2022年、2023年)は、多くの母親の本音を表現していると大きな反響がありました。子育ての経験が仕事に活きていると感じますか。

井戸 そうですね。2022年のユニクロの母の日のキャンペーンでは、『あたしンち』のキャラクターの新聞広告が話題になり、Twitter(現X)で一番いいねがついた投稿は、25万「いいね」を獲得しました。2023年の『ちびまる子ちゃん』の新聞広告では、話題が海外にまで広がり、国境を越えて共感いただくことができました。共働き世代の朝を応援する大塚製薬のカロリーメイトや、「神サービス!」と紹介されたネピアおむつ無料交換便なども、反響が大きかったです。いずれも3人目の出産後の仕事です。

——そうだったんですね。

井戸 でも実は、2人目を産んだときまでは、子育て経験を話すことに躊躇があり、どちらかというと「出産前と変わっておりません」という体裁で仕事に臨んでいました。私自身が、仕事と子育てを両立することで失ったもののことばかり考えていたんですね。独身時代のように働けない、インプットする時間も減って、トレンドや最新のナレッジも追いつけないと⋯⋯。

——よく分かります。

井戸 でも、3人目からは、失ったものではなく得たものにフォーカスしようと考え方を切り替えました。例えば、インプットについては、セミナーや研修に参加できなくても、今の生活が丸ごとインプットになると捉え直し、そこで得たことを意識的に仕事に持ち込むようにしました。

本能まるだしの子どもと接することは、人間理解の深化や人の成長支援にも役立っていますし、子育てを通じて出会う人との会話は生活者のリアルを学ぶ機会になります。

カロリーメイトの企画は、ママ友との「朝、何を食べさせている?」という立ち話からヒントを得ました。共働きが増えて、朝ますます忙しくなっても、子どもの栄養が気になるという親の本能、愛情が変わらずそこにあるんだなと思ったんです。

他にも、近所のおばあちゃんや学校の先生など関わる人が増えて、子育て前には得られなかった発見がたくさんあります。そういったことを意識的に仕事に持って行ったら、成果につながるようなりました。

——確かに、子どもを通して地域の人や保育士さんといった、それまでになかったつながりもできますよね。井戸さんのお仕事は、社会に広くメッセージを発信していくことなので、そうした経験を存分に活かせそうです。でも、2人目までは失ったものに目が行きがちだったのに、切り替えられたのはなぜですか。

井戸 3人目の復職の直後に、「働く」をテーマにした企画打ち合わせに呼ばれました。

ただ、育休生活開けたばかりの浦島太郎状態だったので、日本や誰かの働くについては語れない。

そこで、子育てしながら働いているからこそ得た視点を起点にしたアイデアを持っていったところ、入社して一番かもしれないというくらい、企画への反応が良かったんです。

その反応を見て、「子育て経験は、ハンデではなく、強みになる」ということに初めて気づくことができました。今では、子育て経験は、海外経験、出向経験などに相当すると勝手に確信しているくらいです。

部長になったら男性社員から思わぬ反応が……

——3人目からの復職後に部長になられたそうですね。

井戸 復職して1年ほど経って、「部長に」という話がありました。話を聞いた瞬間に長い沈黙が流れましたね(笑)。やはり仕事と子育ての両立は大変だったので、「ゆくゆくはやってもいいけど、今じゃない」と。

でも、上司の方々に相談行脚をしたら、エールやアドバイスをいただき、局長も「必要なフォローをしていきたい」と言ってくれたので前向きになることができました。

——実際に部長になってみてどうでしたか。

井戸 意外にもおもしろかったんです。会社組織において見える景色が広がり、組織運営や部員の成長にコミットできることにもやりがいを感じます。

驚きだったのは、子育てしている男性社員からの反響です。40代以下の男性社員たちは妻と育児を半々で分けているケースが増えている。でも、男性の上司は育児の分担がまだそこまで一般的ではなかった時代を生きてきた人も多く、どう思われているのか不安だが相談しにくいと悩んでいました。

「井戸さんみたいな人が部長になってくれてうれしいです」と言われて、改めて子育て中の女性が部長になることが男性社員にとっても意味があることだと気づきました。

クリエイティブの力でDEI推進するためのソリューションを考案

——その後、御社内でDEI推進パッケージを考案されました。それはどのような経���だったのでしょうか。

井戸 自局の目標の一つとして「女性管理職比率の向上」がありましたが、女性管理職比率を増やしていくためには、構造的、文化的な問題にアプローチする必要があることに、管理職になって気がつきました。また、世界経済フォーラムのレポートでは、ジェンダーギャップは解決するまでに134年かかると言われています。それを「クリエイティブの力で爆速で解消する、その一歩目となる取り組みをしたい!」という思いが芽生えたんです。

そこで所属しているFuture Creative Centerの経営改革のノウハウを活用した、企業のDEI推進のソリューションパッケージを作りました。さらに、それを自局にも導入するプロクジェクトをスタート。クリエーティブ・ディレクターと部長という両方のミッションの交点で、社会と自局の両方のDEI推進の取り組みにトライしています。

——具体的にはどんなことをしていますか。

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井戸 まず、DEI推進の目的について言語化し、優先順位の高い問題の抽出をしました。その後、育児や介護をしている現場社員や退職者の生声をしっかりヒアリング、全局員意識調査を実施、評価格差も分析し、課題を徹底的に洗い出しました。ヒアリング結果を報告したところ、「まさか自局の社員がこんなことを思っていたとは」という声がありました。

——育児や介護をしている社員が悩みを抱えていたことが意外だったということですか。

井戸 上司はプライベートのことを突っ込んで聞きにくい、部下は評価に影響するのではと心配で自分からは言いにくい。だからこそ、「育児介護との両立は大変そうだとは感じていたけど、そこまで深刻だとは思っていなかった」ということだったようです。

また、DEIは当事者や意識が高い人と、そうでない人との温度差が激しいテーマ。そこで、DEI推進の解決策を考えるアイディエーションセッションでは、敢えてプロジェクトメンバーに閉じずに、全管理職に参加の声がけをしました。

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閉じずにどんどん開いていくことで、プロジェクトメンバーだけでは見つけられなかった視点、解決策が数多く生まれ、「おもしろい」「やりがいがある」という感想までもらい、プロジェクトがさらに広がるきっかけになりました。

現在は、DEI推進に必要と考えられる5つのテーマを、現場の第一線で活躍している5人のクリエーティブ・ディレクターがそれぞれチームを組んで、アクションのプランニングを行っています。

——「忙しそうだから関心を持っている人たちだけで進めた方がいいかな」とつい思いがちですが、いろいろな人を巻き込むことがポイントなんですね。このプロセスにおいて、元「Business Insider Japan」統括編集長・浜田敬子さんを呼んで意見交換もしたそうですね。

井戸 はい。もともと数年前に浜田さんの講演を聞いて魅了されたこともあり、このテーマだったらぜひ浜田さんのお話を伺いたいと思い、1時間半、意見交換をお願いしました。「こんな濃密な1時間半があるのか」というくらい色々お話いただきました。

——どんな言葉が一番印象に残っていますか。

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井戸 「社員を労働時間で評価していませんか」と、いきなりど真ん中の話をしていただきました。他社さんの事例もいろいろと話してくださり、「他社はそんなに進んでるんだ」「電通ももっといい施策を考えよう」と、火をつけていただきました。

——自局への導入の手応えは感じていますか。

井戸 DEIを推進する中で、「会社のこれからに希望が持てる」「会社をよりよくするために、自分も何かしたい」という声が届くようになり、DEIに関わる人も増えてきて、新しい流れが生まれているように感じています。

また、元々は約100人の局としてのプロジェクトでしたが、今ではクリエーティブ部門全体の取り組みに発展し、プロジェクトが拡大していっています。

——電通というとどうしても「長時間労働なんだろうな」「育児はあきらめないといけないだろうな」というイメージがあります。そのイメージを変えることはなかなか難しい。

井戸 だからこそ、電通が取り組む意味があると思っています。そのように思われてしまっている電通が変われば、「あの電通が変われたなら」と社会が変わるきっかけになれるかもしれないなと思っています。

多様な経験を持ち寄ってこそクリエイティビティが生まれる

——多様な経験を持ち寄ることができる組織の強みとは一体どんなものでしょうか。

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井戸 1940年に原書が出版された『アイデアのつくり方』(ジェームズ・W・ヤング著)で、「アイデアは既存の要素の新しい組み合わせだ」と言われています。その組み合わせが意外であるほどおもしろい。私は多様な経験、人生の持ち寄りの先に生まれる新しい組み合わせ、チームのメンバーの多様性によって生まれるクリエイティビティに可能性を感じていて、その力を実感したことがたびたびあります。人と人の創発からアイデアが生まれる瞬間はなんとも言えない快感があります。

——事務仕事がAIに置き換わると言われているなか、今後は多くの職種でクリエイティビティが求められるようになると思われます。そのときに多様性が大きな力を発揮するわけですね。しかし一方で、トップのコミットメントがない、既得権を握っている一部が多様な人材が入ってくることを嫌がるといったことも。

井戸 私たちのプロジェクトでは、最初に、事業戦略と連携したDEI推進の目的をトップ自身に言語化してもらいました。何となくやらないといけないことではなく、事業におけるDEIの価値をトップの方に見出してもらったことで、プロジェクトの推進力が上がったように思います。

もう一つ、DEIを推進した状態を一度体験してみるのも面白いかもしれません。自局の管理職全員を集めたアイディエーションセッションのときに、他の部署から女性管理職を呼んで意図的に女性が30%いる状態を作ったんです。すると男性管理職の方から「今までいかに自分たちが偏った空間で会議をしていたかが分かった」「視点が増えるという意味が初めて分かった」と言っていただきました。体感していただくと気づくことは多い。

——DEI推進によってメリットを享受するのは女性だけではないと分かってもらうことですね。女性が働きやすい職場は男性も働きやすいとよく言われます。

井戸 そうですね。ただ、どちらかに画一的に合わせることを良しとするのではなく、男性女性といった性別に関わらず、みんなが働きやすく幸せになれる職場文化づくりを目指したい。それができて初めて多様性だと思います。

——そうですね。井戸さんのように子育ても仕事も両方楽しむ、子育てが仕事の強みになるというメッセージを発信することが好循環になると思います。

井戸 最近、年下の社員で、男女問わず「お迎えがあるので6時以降は無理です」「アフター5は趣味の時間を大切にしたいので」という会話が増えています。あと10年して、その世代が管理職になる頃には、今議論している問題の多くは自然と解消されていく可能性があるなと思っています。その世代の人たちが管理職になるキャリアが描けるようにすること、この10年を次世代につないでいくことが今私のやるべきことかなと思っています。

新しい経験、人生に、今はおもしろさと可能性を感じています。世界一のクリエーティビティ・カンパニーを目指す電通グループとして、世界一多様な人が能力を発揮しやすい職場であってほしい。そして日本も、多様な人が能力を発揮しやすい社会になれば、もっと元気になれると信じています。


【取材を終えて】

「2人目までは、これまでと何も変わっていません、ってアピールしていました」

インタビュー半ばでの井戸さんの一言です。本人もそうあるべきだと思ってしまうし、周囲もそれを期待してしまいます。ワーキングマザーが感じるプレッシャーがこの言葉に凝縮されていると思いました。

しかし3人目の出産後、井戸さんは「これまでと変わりません」宣言をやめました。きっかけは、弱みがむしろ強みになると気づいたこと。人に届ける仕事だからこそ、生活がまるごとインプットになるのだと。

インプットする時間がない、物理的な制約でネットワークを広げることができない……ワーキングマザーに限らず、誰にでも不自由さはあるもの。企業がDEIに取り組むべき本質的な理由がここにあると思いました。

(聞き手:Business Insider Japan共同編集長・ブランドディレクター 高阪のぞみ)


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