「こども誰でも通園制度」に関連して、保育所を視察する岸田文雄首相。2024年7月5日。
出典:首相官邸HP
政府がうたう「次元の異なる少子化対策」を具体化するための改正子ども・子育て支援法が成立し、看板政策の「こども誰でも通園制度」が2年後から本格実施されることが決まった。
親が働いていなくとも保育サービスを一定時間利用できるようになる制度で、孤立や不安と隣り合わせの現代の子育て家庭にとっては朗報だ。
その一方で、保育現場の混乱が予想されている。近年、保育園での痛ましい事故が相次いで報道される中、誰でも通園制度によって乳幼児を細切れで次々と受け入れることになる現場では、事故のリスクが高まるのはもちろん、もともと通園している子どもたちにも影響が出かねない。
新制度が抱える3つの課題をもとに、日本のあるべき保育の姿について、OECD諸国と比較しながら考えていく。
0〜2歳児の「孤育て」防げ
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2026年度からの本格実施が決まった「こども誰でも通園制度」は、保育施設に通っていない生後6カ月から3歳未満の未就園児を対象に、親の就労を問わず、月10時間程を上限に保育所や認定こども園などで保育サービスを利用できるようにする制度だ。
従来、公的な保育サービスは「育児に困難のある家庭」が対象で、利用できるのは(1)保護者の就労(2)妊娠出産 (3)疾病障害(4)介護(5)災害復旧(6)家庭内暴力や虐待などの「困難」があると認められた家庭だった。これらの「要件」には2015年度から(7)求職活動(8)就学(9)育休中、が追加され利用の間口はやや広がったものの、終戦直後に困窮家庭向けに作られた福祉制度ならではの、利用制限が厳しい「措置的な仕組み」が維持されている。
利用者を選別する行政の裁量が大きいため、保育を希望しても「必要度が低い」と自治体から見なされたら利用は認められず、「待機児童」や「潜在的待機児童」になる家庭が毎年生み出されてきた。
親が就労していない専業主婦(夫)家庭ならハードルはさらに高くなり、「保育施設を子どもに利用させたいから働きに出る」という逆転現象がみられるのも、利用制限がある措置的仕組みのためだ。
しかし、少子化により地域で育つ幼い子どもが減るなか、在宅で子育てする家庭の孤立は深刻化しており、未就園児が多い0~2歳児が虐待死亡事例の半数以上を占めている。
「誰でも通園制度」は、これまで支援が手薄だった0~2歳児の家庭向けに、要件を問わずに保育の利用を一定時間可能とすることで、育児不安や虐待を防ぐ狙いがある。
同時に、地域によっては子どもの人口が減少して定員割れする保育所や認定こども園も出ており、そうした施設にとっては新たな利用者が増えることで「定員割れ対策」となり、運営の改善につながるとの期待がある。
課題1. 人手不足の現場が混乱、事故リスク高まる
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ところが、そうした期待がある一方で、保育の現場や専門家たちからはこの制度の全国展開を危ぶむ声が聞かれる。
懸念されている課題を整理すると、大きく3つの問題点が浮かび上がってきた。
一つ目の問題は、乳幼児を細切れで次々と受け入れることに伴う「保育現場の混乱」だ。月10時間という上限で可能となる保育とは、1回3時間程なら月3回、1回5時間なら月2回となる。細切れで不定期な保育に対応するなかで、個々の子どもの発達状況やアレルギーなどの特性を把握し、愛着形成を深め、親とも信頼関係を築くことはかなり難しいと思われる。
頻繁に入れ替わる利用者が増えれば、施設側では事故を防ぐための神経と労力が通常の保育以上に求められることになる。
定員割れしていない施設では新たに職員を雇うなど体制作りが必要になるが、「誰でも通園制度」は利用した時間分だけ自治体からの委託料(1時間850円)と保護者の利用料(1時間300円程)が支払われる仕組みで、利用が少ない月は、施設側で人件費の赤字を背負わなければならなくなるなど、財政面での懸念も大きい。
定員割れの保育施設でも、環境に慣れていない乳幼児を預かるには、特別な配慮と手間が必要になる。
保育者が全国的に不足するなか、人手を確保し、しっかりした体制を構築できなければ、もともと通園している子どもたちの保育にも混乱が生じかねず、事故のリスクが高まることになりかねない。
課題2. 実態は「一時預かり」、異なる施設を転々も
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第二の問題点は、子どもの育ちの観点からの懸念だ。
政府は「誰でも通園制度」の目的として「全ての子どもの育ちを応援し、子どもの良質な成育環境を整備する」ことを掲げている。ところが、実際に想定されている運用は、「定員に空き」のある施設が「可能な時に」利用者を受け入れるというものだ。居住地とは異なる都道府県の施設を利用することも可能とされるため、定員に空きのある施設、預けたいと思える施設が近くにない場合は、遠方のさまざまな施設を転々とする状況になることが心配されている。
月に数回だけの不定期な利用で、施設や保育者が固定されないなか、「乳幼児の育ちの支援」の機能をどう担保するのか。親の負担軽減やレスパイト(一時的な休息)が目的である「一時預かり」とどう違うのか、わからないという戸惑いが保育の関係者から漏れている。
地域の同年代の子どもと遊び、興味や社会性を育み、保育者との愛着関係も深める。保育所やこども園などの保育施設はそうした「育ちの支援」の機能を果たしているが、地域で遊ぶ子ども集団が消えてしまった今、発達支援の場としての保育がどの子にも必要となっていると考えられる。
それなら、「一時預かり」的なサービスを増やすだけでなく、健やかな「育ちの応援」として保育への門戸をどの子にも広げることが求められているはずであり、同じ施設に定期的に通う利用形態にすることが、子どもの利益の観点から必要なのではないか。
課題3. 制度が複雑化、辿り着けない本末転倒
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三つ目に浮かびあがるのは、複雑化した保育制度の体系を刷新しないまま、新たなサービスを一つ増やすようなことでよいのかという疑問だ。
児童福祉法に基づく認可保育所や、認定こども園法に基づくこども園などとは別に、「誰でも通園制度」は子ども・子育て支援法に基づく地域子育て支援事業の一つとして、時間単位で利用できる新たな保育サービスの給付を設けるものだ。
保育サービスには、認可保育所、認定こども園、無認可保育所、企業主導型保育事業、小規模保育事業、家庭的保育事業、一時預かり事業、病児保育事業などさまざまな施設種別と事業形態がある。それぞれ申し込みの窓口や利用要件、料金体系、契約方法が異なり、親が個別に下見して申請し、契約することが求められる。
「保活」という日本独特のストレスに満ちた作業が保護者に強いられているのは、保育制度が誰でも利用できるわけではない選別的な制度であることに加え、多様な保育サービスが建て増し式に増えてきて再編・整理されていないためだ。
病児保育や一時預かりなど新たなサービスが増え、多様な支援が拡充されたことは歓迎される一方、自分たちの家庭状況に合うサービスがどこにあり、どう利用すればよいかは保護者が調べて情報収集し、検討しなければならない。相当の時間やエネルギーが必要で、その余力がない家庭こそ利用の必要性が高い場合が多いにもかかわらず、必要なサービスにたどり着けない「アクセスの困難」が起きている。 複雑化した制度の弊害が明らかなのにかかわらず、新種のサービスをもう一つ増やすだけよいのか。
名称が掲げる「全ての子どもに保育の門戸を開く」ことを目指すべき保育政策の姿と考えるなら、複雑な制度を横断的に見直し、希望する親子がもれなく利用できるユニバーサルな保育制度への再編と刷新に着手すべきではないのだろうか。 ユニバーサルな保育制度を実現するには、保育制度の中核をなす認可保育所の「措置的仕組み」を見直すことが避けて通れない。
厳しい「要件」で利用する家庭をふるいにかける措置的仕組みは、かつて民主党政権下で見直しが検討されたが、認可保育所の経営者団体の抵抗で見送られた経緯がある。「誰でも通園できる保育」を実現するには乗り越えるべき壁がいくつもある。
遅れを取る日本の保育、一体なぜ?
他方、子どもは誰でも保育施設を利用できるという制度は、実は、多くの先進国で既に実現されているものだ。過去20~30年で広がった保育をめぐる新しい考えと政策は、保育制度にほころびが目立つ日本にとって参考になる。
「経済協力開発機構(OECD)」に加盟する先進諸国では、工業化や都市化が進んだ20世紀に「貧困家庭のための託児」として保育サービスが始まり、女性の社会進出が進んだ1970年代以降、「女性の就労支援」として量的に整備されていった。さらに、1989年に国連児童権利条約が採択され、その理念を踏まえた「子ども自身の権利としての保育」という観点から、全ての子どもに良質な保育の利用を保障する「子どもへの保育の保障」という新たな考え方が広がった。幼児教育と保育に分かれていた施設類型や行政の所管を再編統合し、全ての子どもが乳幼児期からの良質な教育・保育(Early Childhood Education&Care=ECEC)を利用できるようにする改革が進められた。
それが世界的潮流になった背景には、OECDが多国間の共同調査研究事業「スターティング・ストロング(人生の始まりこそ力強く)」を主導するなど強いリーダーシップを発揮したことがある。また、グローバル化と高度情報化が進む21世紀を生きる子どもたちの育成戦略として、乳幼児教育と保育(ECEC)の強化を最重要課題とみなす考えが各国に共有されたこともある。
他方、こうした潮流に距離を置いてきた日本では、先進各国で標準になった「乳幼児教育と保育の一体的改革(幼保統合や行政一元化)」は進まず、「全ての子どもに開かれたユニバーサルな保育へのアクセス」も「乳幼児教育・保育への投資拡大」も「質を向上させる監査・評価システムの整備」なども進まなかった。
医療的ケア児や障害がある子も受け入れを
そうしたなか、「誰でも通園制度」は「ユニバーサルな保育へのアクセス」に近づく一歩となるもので、日本も国際潮流の保育改革の入口に立ったと、前向きにとらえたい。
その点で、改正子ども・子育て支援法を審議した衆参両院は、可決の際に付帯決議で「全ての子どもの権利として保育を保障する仕組みの検討を進めること」を求めており、政府への「宿題」となった。つまり、家族のあり方や社会が大きく変化するなか、80年近くも前に作られた旧式な保育制度の設計を、21世紀に相応しく改革することが求められているのだ。
付帯決議ではまた、医療的ケア児や障害のある子どもなども受け入れるインクルーシブな保育の整備も求めた。医療的ケアや発達支援が必要な子どもは増えており、子どもなら誰でも通園できる保育制度にしていくためには、先進国のなかで最低水準となっている職員の配置基準や狭い保育スペースなども含めた刷新とそのための財源投入の検討が必要となる。
かつて多数派を占めた「専業主婦世帯」と少数だった「共働き世帯」は1990年代に逆転し、現在は出産しても就業を続ける女性が半数を超え増え続けている。保育に期待される役割は、「困窮家庭のための福祉」から「女性の就労支援」へ、そして21世紀を生きていく子どもたちの「育ちを応援するユニバーサル支援」へと日本でも変化している。
旧式な保育制度をアップデートし、文字通りの「子どもは誰でも通園できる制度」へ転換するため、ユニバーサルでインクルーシブな保育が保障される改革が実現されれば、保育における異次元の対策となるだろう。